1952年、戦後7年で創刊された華のラテン音楽誌。ラテンとは要は地球上で日当りが最も良く、華やいだ地中海〜ラテンアメリカの文化圏を指す。実に広い。世界最大の多彩な文化圏。
ラティーナ誌はその後、大ラテン圏だけでなく、それと連なるアフリカ〜マグリブ〜地中海〜東欧〜アラブ〜アジア・・・世界中の音楽を網羅している「日本で唯一の世界基準の音楽誌」だ。
逆を言うと、どれだけ日本のメディアが世界基準でないガラパゴスなものか。
さて、日経を読んで。
創刊と時代背景の変遷、経緯がありつつ現社長の本田健治氏の大学時代〜大手レコード会社勤務時代の話、嫌になってやめた辺りが実に面白い。ここが同氏の個人的な話ではなくポイントだ(LATINA6月号誌上にはもっと具体的なエピソードがある)。極東日本島国見知社会/利潤追及型ビジネスの大盲点に対する矛盾の壁、それをビッグゲームで体感した上での闘士としてのリスタート! 会社を辞めてスペインに渡った話(もっとききたい)、その後の歴史的な世界級大物の来日招聘エピソードなど。
やはり一番共感したのは「多くの情報を盛り込み、かつ当時の自分と同世代の若い読者もひきつけたかった」という部分だ。やはり一度メジャーの仕事を大卒で経験して、そこからの再出発という点。一般層にアプローチするというモチベーションだ。
最後に「どんなに厳しくても続けていこうと決めている」という力強い言葉。
僕がLATINA誌を読み始めたのはアメリカ〜ブラジルから帰国した90年代後半の学生時代。渋谷のタワレコ5Fワールドミュージックのフロアでだ。寄稿をさせていただいたのは2004年から。毎月の連載3頁も早いもので3年目に突入。今年は6月号の時点までで最も多くのページを寄稿させていただいている入稿者でもある。無論、編集長はじめLATINA編集部との信愛関係、共有感ありきで。
明日も横浜駅前の大型路面店、大人気ラテンレストランバルで毎週土曜の夜をプロデュースさせていただいているシリーズにゲストDJで編集長でもある学生時代からの先輩、船津亮平氏を迎え、ラテンの美食/情熱空間をラテンの音楽で多彩に演出する。
常に、「一般層と触れ合う親和性×本場リアリティー」とセンスで。
何よりも大事なのはセンスだ。
本田社長はじめ、先人たちの聖火はどんどん新世代が継承していっている。
ぜひ月刊 LATINA、読んでください。そしてレスをください。おまちしてます!