"トルネード"、"ドクターK"、型破り・独自のフォームで成功、そして日本人初のメジャーでの大成功。Dogers、Red Soxでのノーヒットノーラン、Mets、Detroitタイガース、ブルワーズ、南米野球大国ベネスエラ・・・デヴィルレイズ、最後はカンザスシティーRoyals。
野茂さんが大阪近鉄バッファローズからLos Angels Dodgersに入団したのは1995年。
僕はNOMO旋風吹き荒れる1996年にLA近郊に留学。幼い頃から親しんだDodgersのユニフォームを身にまとい、活躍する彼をスタジヂアムで間近で見た時は、改めて本当に凄いことだなと思ったし、僕なんかに限らず当時、多くの日本人に夢を与えてくれましたよね。
当時、僕はCaliforniaで何もかもがデカくてびっくりしてた頃・・・Dodger Stadiumで生で見た(↑写真)その日本人の勇姿に興奮・感動、大きな夢を持たせてもらった。CaliforniaがリードしたHipHop、Rock、スケボー、サーフィン、バスケ、Fashion、Tatoo、そして何といってもStreet-Custum Rodderの世界にドップリ傾倒(モロCal世代)していた僕は、L.A.でそして全米で敬愛されている"Hideo NOMO"という日本人の大スターを物凄く誇りに思った。
野茂のおかげで米国内で少し下に見られていた日本人の印象はそれまでより随分良くなったのでは? 当時ストライキで揺れていたMLBを野茂という新風が蘇生の一端を担った事も忘れてはならない。
その後、沢山の日本人メジャーリーガーが今日まで生まれているけれど、野茂ほどリスペクト出来る人はいないとずっと思ってきた。同時に活躍を楽しみにしていた。
右肘の故障に苦しめられ続けていたけれど、常に静かなる闘志で挑戦しつづけてきた野茂さんの姿はこれからも忘れる事が出来ない。
奇しくも先日、第一期Dogers時代にバッテリーを組んだMike Piazza選手も引退を発表したばかりだった。
チカーノ文化にも強い興味を持っていた高校時代からの夢、初めてのメインランド1996年↑Californiaにいた頃。当時HOUSEやAcid Jazzより、本物のLATIN~SAMBAに傾倒。Beth Carvalhoを口ずさみながらBrasil人やSpain人とLatinノリで 。L.A.郊外の街ではSpain語を話す人が沢山いてCaliforniaも旧:Spain/Mexico領だったことを実感した。