1997年以来、BRASIL特にRio de Janeiroに一人通い続け活動。友達、知り合いゼロだった19歳。そこから一人「自力で」特定の団体(サンバチームやサッカーチーム)や個人を基礎に人間関係を築いて来て早18年目となり、既に沢山の友人、知人が各地に出来てすっかり二重人生となってしまった。喜びも沢山あるけれど、やはりそれは精神的にも価値観的にも自分のID〜結界的にも、危険な生き方で、大きな喜びと共に苦痛を伴っている。どうかブラジルに引っ越す事は出来ないだろうか?
写真はもう15年ほどの付き合いとなるRIOの父と。
もちろんLAPAが今みたいに観光地化されて外国人がやたら来る前からの古い仲。
彼の事はRIOを代表する歴史的音楽歓楽街“LAPA”で知らぬ者はいない古株のボスだ。昔々、僕がOsvaldo Cruz(Madureira)の家を追い出されて、路頭に迷っていた時に「何かあったらいつでもうちに来い。うちで働くか?」と言ってくれた人だ。震災発生時もそう言ってくれた。
「もう地球の裏側に帰るからお別れを言いに来たよ」と馴染みの店員に言うと、「こっちへこい」と店の厨房の彼の方へと呼ばれた。
今回、半年ぶりに会ったけど、急に耳が遠くなっていたり、、、
引退してもう5年以上? 今もボケないように店頭に立ち続けているけれど、、
早くリオに戻って彼と色んな話をしたい。
夢は彼とGaliciaへ旅する事。
そう、彼はGalicia人であり、今も毎年故郷へと帰省しているのだ。
もちろん正真正銘のVascaínoである。LAPAで最も有名な同店のテーブルや椅子にもある紋章にはこちらと所縁のあるものがあしらわれています。
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